奪ってやりたいと思った
彼女を形作るもの全てを

視線も身体も心も全部誰にも触れられないところに
自分だけのものに






的幸福論(ぼくてきこうふくろん)







其処はまるで、楽園のようだった。
白を基調とした部屋はシンプル且つ機能性にも優れていて、全く非の打ち所が無かった。インテリア関係の雑誌に載っているような美しさが感じられる空間。天井が高く、窮屈さは一切無く開放的だった。なんといっても、少し高い位置にある小窓から洩れる朝日の光は、部屋の空気をより柔らかなものにしてくれた。もともと広い間取りではあったが、実際よりも広く感じられるのはきっと必要最低限の家具しか無いからだろう。

そんな暖かな空間に一人の男と女。

女は、非常に美しかった。唇は血色が良く、桃色で可愛らしい。肌は木目が細かく滑らかなものであった。閉じられてはいるものの、瞳の大きさが瞼の形から見て取れる。本当に何から何まで完璧な程までに、女は愛らしい姿をしていたのだ。

まだすやすやと寝息をたてている女の髪を優しく撫でる男の表情は、とても幸せそうだった。
「おはよう。」
そっと女に口付ける。桃色のふっくらとした唇は女の鎖骨辺りにぼろり、と落ちた。
「ああ、大変だ。君は身体の弱い人だからなあ。」
ふわりと微笑んだ男は落ちた唇を元のあった位置に戻した。

「今日は良い天気だよ。散歩にでも出掛けないかい。」
女の手を取り、起きあがらせようとする。すると乾いた音とごり、と骨が摩擦する音がした。右手首だけが男の手を握り、身体はベッドに置き去りの状態になっていた。
「ああ、いけない。君は身体の弱い人だからなあ。」
くすりと微笑んだ男は手首を元のあった位置に戻した。

「早く目を覚まして、その愛らしい瞳で僕を見つめてよ。」
そっと瞼に触れた。ぐにゃり、と瞼の窪み部分が変形して、閉じられていた瞳から丸い球体が頬を滑り落ちた。白く濁ったそれは、男をじとりと見つめた。
「ああ、もう。君は身体の弱い人だからなあ。」
にこりと微笑んだ男は枕元に落ちた眼球を元のあった位置に戻した。


「君が悪いんだよ。いつまでも僕を見てくれなかったから。」

女は抜け殻だった。ただそこに存在しているだけの個体に過ぎなかった。
だが、男にとって女が腐り始めていることなど、ほんの些細なことでしかなかった。外見はどうであろうと、女は女自身であり、男が生涯愛した対象そのものだったからである。女は今ここに存在する。ずっと男の隣にいる。それだけで、男にとってはかけがえのない幸福だった。

男は女の全てを手に入れたのだ。





「幸せだね、僕たち。」


女は非常に美しかった。唇が血色の悪い薄紫色になっても、肌が瑞々しさを失い土色に変色しても、瞼から白く濁った眼球が滑り落ちてしまっても、女は愛らしかった。男は本当に何から何まで完全な程までに、女を愛していたのだ。



彼にとって、其処はまるで楽園のようだった。


08/3/18



狂気に塗れた男の話。
こうすることしか出来なかった男は不幸せなのか。
それとも、
ここまで人を愛することが出来た男は幸せなのか。